読み物


教師と作曲家、二足の草鞋

 最近、SNSで若い方から多くのフォローをいただいているのですが、その中で作曲家を志望している方もいらっしゃいます。以下はそのような方向け。



 3年前、エール・マーチが課題曲になった後、多くの人から「今後は教師を辞めて作曲家になるんですか?」と訊かれましたが、即答で”No”。私は、教師と作曲家、二足の草鞋をこれからも履き続けていきます。


 作曲家と一口に言っても色々な作曲家がいます。まず、収入面。「作曲だけで食べている人」と「作曲以外に副業がある人」と「作曲が副業である人」の3つに分けるとしたら、私は「作曲が副業」に当てはまりますが、「副業」という言い方はしたくないと思っています。本気で作曲しているし、お金目当てで作曲していないからです。

 そもそも年間で入ってくる作曲の印税なんて、我が子のお小遣いより少ないのです。「宮下さん、潤っているねぇ」と多くの人から言われますが、ここ3年間で潤ったのは課題曲の賞金としていただいた50万×2回分のことで、他の曲で出版社から入ってくる印税は桁が少なすぎます。それだけで生活するだなんて、夢のまた夢。現実は甘くありません。来年、エールマーチの著作権が戻ってくるのが少し楽しみではありますが、世間的には過去の曲ですから、期待すると裏切られた時に悲しいので、期待しないようにしています(笑)


 私はお金を目当てに作曲していないし、そもそも私は公務員なので、アルバイトはできないのです。ではなぜ私は作曲をするのか?


 これはただ、作曲が面白いからです。音楽を作り出すことや、満足いく曲が書けた時の達成感、それが演奏され音になった時の鳥肌がたまらないからです。自分の曲を他人に聴いてもらい、高評価を頂くことも嬉しいのですが、それは二番目の理由で、一番目の理由は、自分自身が納得する曲ができた時の喜びを味わいたいからです。人に喜んでもらいたくて書いているとは、私は大きな声では言えません。私はそんなにいい人ではありません。私が作曲を続ける理由はシンプルです。それが面白いし、飽きないから続けているのです。

 だから、私は自分が書きたいと思った曲しか書きませんし、書けません。以前は、依頼を受けて編曲をすることも多くありましたが、最近はしていません。学校の仕事が忙しく、土(日)も部活があって、作曲に充てられる時間がほとんどないからです。計算すると、年間で1000時間あるかないかです。その多くは年末年始とお盆休みに集中しています。だから、教員仲間から編曲依頼が来ることもありますが、最近は断っています。ごめんなさい。時間がないのです。


 もし、あなたが、「作曲だけで食べていく」と言うのならば、色々な覚悟が必要だと思います。

 まず、結婚です。相手に養ってもらえるのならば結婚してもいいでしょう。ですが、自分で家族を養おうと思うのならば、結婚はやめるか、後で考えることにしましょう。どうしても、作曲家になりたいし、結婚もして家族を養いたいと思うのならば、作曲だけで「年収500万円」を「継続して3年以上」もらえるようになってから考えましょう。私は考え方が古い人間なので、奥さんに養ってもらうことは考えていません。もし奥さんに何かあったら自分が一家を支えなければならないから。その時に年収が500万すらないと言うのは厳しすぎます。

 年収500万円でも、一人暮らしなら余裕でしょう。でも、子どもがいると別です。子どもが生まれてから成人・独立するまでに1,000万円かかると言われていますが、実際には全く足りません。生活費として家賃や食費、光熱費、通信費、散髪代、学校への諸校費、修学旅行の積み立て、洋服代、、キリがありません。さらに、あなたと同じ音楽の習い事をさせようなどと思ったら、月に1万円の月謝だとしても年間で12万。10年で120万追加費用の計上が必要です。

 だから、作曲だけで「年収500万円」を「継続して3年以上」は最低ライン。これでも実際には全く足りません。子供を地元の国立大卒業までさせるなら、住んでいる地域にもよりますが、世帯年収で800〜1,000万円は欲しいところ。自分の老後の資金の積み立ても必要ですからね。

 と言う訳で、もしあなたが「作曲だけで食べていく」ことを考えるならば、まずは金銭感覚を磨くことからです。音楽の父、バッハも教会や宮廷に雇われて公務員的生活をしていました。シューベルトも極貧生活のうちに死去。ビゼー、スメタナ、みんな極貧生活でした。

 だから、私は作曲を専業にすることはしないし、できません。これは経済的な面から。


 ただし、お金のことばかりが理由ではありません。実際多くの作曲家が「教えること」と両立して生活していますので、私と似ているとも言えますが、さすがに「中学校教諭と作曲家を両立」している人は数えるほどしかいませんね。ほとんどが「ピアノ教師と両立」「指導者と両立」「演奏家と両立」「大学教授と両立」といったところでしょうか。

 私も「指導者と両立」や「大学教授と両立」は考えたことがありますが、今は「中学校教諭と両立」で落ち着いています。


 日本の中学校教諭は世界で一番多忙な職業と言われていますが、最終的に考えると、私自身にとってはそれが良かったと思うのです。忙しいからこそ、「作曲ができない時期」のジレンマが生まれるのです。このジレンマが、「書きたくても書けない!」「時間さえあれば書けるのに!」「ああっ!このアイデア、消えてしまわないうちにメモだけでも!」などという一種のイライラに変わり、そのイライラが、時間ができた時に創作意欲を爆発させるのです。「ポロネーズとアリア」を書いた昨年末。冬休みに入った12月27日から1月4日まで、1日平均12時間、朝も昼も夕食後も、ひたすら楽譜を書き続け、finaleでの清書に明け暮れていました。家族には迷惑をかけましたが、おかげで短期間で集中していい曲が書けました。きっと私は軽度のアスペルガーなんだと思います。


 私にとって一番のヒット作となった「エール・マーチ」は、中学校教諭として生徒と接する日々がなかったら、決して生まれていませんでした。オーケストレーションをしながら、生徒一人ひとりの顔を思い浮かべ、「これだと難しすぎるから、ちょっと簡単にしてあげよう」「悪いな。難しいが勘弁してくれ。」などとブツブツ独り言を言いながら書いていました。私が中学校教諭と二足の草鞋を履いていたからこそ生み出せた曲でした。毎日の目まぐるしい中学校勤務。その日常こそが、私の創作意欲を喚起してくれているのです。もし、自宅の音楽室に篭りっきりの日々を送っていたとしたら、「エール・マーチ」も「ポロネーズとアリア」も、生まれることはなかったと思います。


 それに、もし専業の作曲家になるとしたら、きっと自分が望まない曲も書けるようにならないといけないと思うのです。自分が書きたい曲だけを書いて、それを演奏・発表・発売だけして生計を立てている人って、まず世の中にいないと思うんです。やはり依頼・委嘱があって、クライアントからの要望に答えなければ、仕事がないと思うんです。それが自分にできるのか、という話です。

 私には無理です。そんな能力はありません。仮にあったとしても、自信がありません。「私が書いた全ての曲は納得いく曲です」と胸を張って言える自信が。今でも無いのに。

 作曲家としての今の私はとても気楽です。私の作曲に対して期待してくれている人は非常に多いです。それなのに、プレッシャーをかけてくる人は皆無だからです。「もっといい曲をかけ!書けなければ承知しないぞ!」なんて誰も言ってきません。作曲は私の日常生活の中で一番の楽しみなので、誰からも邪魔されたくないし、自分が好きな曲だけを好きなように書いていたいのです。それを演奏・鑑賞してくれる人が喜んで、全国に待っててくれる人がいる。これ以上に幸せなことって、他にありますか?



 だから、私はこれからも、教師と作曲家、二足の草鞋を履いていきます。



 まあ、とは言え、もう少し作曲の時間が欲しいな、とは思います。平日6時台に帰宅できて、土日も全て自分の時間になるなら、もっと書けるのに、とは思います。無いものねだりでしょうが、中学校の仕事もちゃんとしたいし、作曲ももっとやりたいのです。でも私は恵まれています。家のことはほぼ奥さんがしてくれるから。奥さんには一生頭が上がりません。


 作曲家志望の若い皆さん。いかがでしたか。私と同じような「教師と作曲家」の両立。決して容易くはありませんが、面白い人生だとは思います。お薦めはしませんけどね(笑)