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旋律を作ることへのこだわり

 私の作品は吹奏楽曲の方がよく知られていますが、私は作曲家にしては珍しく声楽出身のため、今までに書いてきた曲の中でも声楽の作品が一定数あります。20代の頃は現代曲もいくつか書き、コンクールで入賞したこともありましたが、教員になって学生に音楽を教えるようになってからは調性音楽に回帰しました。吹奏楽を含めて全ての作品に旋律的なものが多くなりました。


 20代の頃、私は、いわゆる調性の歌モノを書いている作曲家に対して、レベルの低い人、人のモノマネばかりで新しいことに挑戦しようとしないつまらない人、として軽蔑していた気がします。今思えば恥ずかしい限りですが、当時は若気の至りで、そういう曲を聴いても「負けた気がしない」と作曲科の友人と一緒に粋がっていたものです。


 ですが、一方で、自分は粋がってばかりで力量がないことを自覚していました。もし人から、「美しい旋律を書いてみろ」「人の心に残る旋律を書いてみろ」と言われたら、自分は書けるのだろうか?自らに問いかけたその答えはノーでした。自分ではできないくせに、それをしている人をレベルが低いと軽蔑するのは恥ずかしいことだと思いました。


 現代においてもなお人々の心に残るオリジナルの旋律を生み出している作曲家は沢山います。私は30歳を超えた辺りから、そうした作曲家に憧れを抱くようになりました。日本人では坂本龍一、久石譲、和泉宏隆、筒美京平、戸倉俊一、小田裕一郎、大野雄二、松任谷由実など、強い印象を残す旋律を書く作曲家には特に憧れがあります。私も彼らのように、まずは自分自身が納得できる旋律を書けるようになりたい。自分で納得できなければ人の心を掴むことはないだろう。そう思うようになり、旋律を作ることに対してこだわりを持つようになりました。


 私は普段は中学校の教員ですから、音楽の授業で扱う西洋音楽はほぼ調性音楽ですし、放課後は吹奏楽部の顧問として主に調性音楽の指揮を振ります。そうした日常を送っているので、作曲家としては作風が調性に回帰するのは自然なことでした。


 また、中学校教員という職業柄、作曲に充てる時間が他の作曲家と比べても圧倒的に少ないことから、どんな時、どんな場所でも演奏しながら作曲できるツールを探し続けました。夜の学校のピアノ、持ち運びできる小さなミニキーボード。色々試した結果、一番よかったのは自分の声でした。例えばお風呂に入りながら、仕事の帰り道に運転しながら(これは危ないですが!)、布団にもぐりながら。これなら楽器は要りません。脳内で伴奏しながら自分の声で演奏するのがモノが不要な分、とにかく楽です。必要なのは、静寂と自分だけの時間と空間。そして日常を忘れ音楽に向かえるという心の余裕。


 作曲中は脳内で色々な音符を組み合わせて旋律を構築します。例えば、まず最初の音を決めます。あるときはリズムを無視して、次の音を探します。上か下か同じか。隣の音なのか1つ飛ぶのか2つ飛ぶのか。5度飛ぶのかオクターブ飛ぶのか。飛んだ後は戻るのか更に先に飛ぶのか。


 同時に外声も作って脳内でハモらせます。すなわち、ソプラノを作りながら同時にバスも作る。バスを作りながら同時にソプラノも作る。頭の中で両手でピアノを弾くような格好でソプラノとバスの音程を確認していく。


 その脳内作業と並行して音価も試していきます。最初の音は2分音符なのか、次は付点のリズムなのか、8分なのか、4分なのか。主音や属音に戻ってくるときに倚音を経由させるか。こんなことを瞬時に脳内で試行していくうちに、自分が今までに聴いたことのないしっくりとくる旋律に仕上がる瞬間があります。これこそが自分にとって本当のオリジナル。最終的に他の何かに似てしまうということもよくあるけれど、自力で構築して出来あがることが素直に嬉しいし、その行為が楽しいのです。これが最近の私の作曲スタイル。


 ここまで旋律にこだわって作りあげておくと、その後が楽なのです。その他の部分はあっという間に出来てしまいます。いいモチーフというのは勝手に次々と新しいアイデアを生み出してくれるものです。考えなくても思いついてしまうものです。勿論、これが出来るためには相当な訓練というか経験があってこそですが。


 とある作曲家がありとあらゆる機材を駆使して、例えばコンピュータやシンセサイザー、リズムマシン、DJ機材などで自分を取り囲むようにして、瞬時にポップス曲を作曲している様子をテレビで見たことがあります。これはこれでカッコいいし、昔自分も憧れたことがあるから分かりますが、今はそのように機材に頼って作曲することはありません。機材に頼ると私の場合、薄っぺらな旋律ばかりになってしまうからです。だから、脳内で試行した旋律を音にする時の道具はピアノだけ。先にピアノで和声の手触りを感じながら旋律を作るときもあります。最近では自分の中でレトロブームが起こっていて、アナログシンセサイザーで音作りをしながら旋律作りをすることも楽しんでいます。温度や時間でピッチや音色が変わってしまうアナログシンセの不安定さが、生楽器と同じ感覚を味わわせてくれて創造力を刺激してくれるのです。


 そんな訳で、旋律作りに対するこだわりは、もう少し続けて行きたいと思っています。


 話は変わって、7年前に「ピアノと弦楽のための幻想曲」という曲を書きました。幻想曲なだけあって全体的に掴みどころのない曲なのですが、この曲の最後に中に私のフルネームを旋律にしてみました。MI(み)yA(や)SI(し)tA(た)Hi(ひ)dE(で)ki(き)をEAHAHEAという音に変換して旋律にしました。バッハやハイドン、ショスタコと同じような手法ですね。


 実はこの旋律を一番聴かせたかった人がいました。それは私の父。作曲当時、父はがんを患っていて、演奏会まで持つかどうかという瀬戸際でした。結局、演奏を聴かせられずにこの世を去ってしまいましたが、きっと天国で聴いてくれていたことでしょう。あなたはこの世を去っても、残し育てた私という人間がこの世で生き続けていて、こんな旋律を書いて、こんな音楽を鳴り響かせて、多くの人々に聴いて頂いていますよと、そんな願いを込めていました。


 父は仕事一筋で、自分のやりたいこともほとんどせず、ひたすら働いて家族を養い、7年前に67歳という若さでこの世を去りました。現役を引退したらしたいことが沢山あったのに、その半分も出来ずにこの世を去った父。だから私は父の分も生きて、これからも沢山の旋律を書き残していこうと思っています。


 いまは40代半ばですが、50代に入ったら今度はリズムにこだわっているかもしれません。60代に入ったら何にこだわっているでしょうか。作曲には引退がないですから、将来自分が何を書いているのか、とても楽しみです。だから私は、歳を重ねていくことがとても楽しみなのです。